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宮島「霊火堂」が全焼 | '05/5/6 |
五日午後一時二十分ごろ、広島県宮島町の弥山(五三〇メートル)山頂近くにある真言宗大聖院の建物の一つ「不消霊火堂(きえずのれいかどう)」の屋根付近から出火、約三十平方メートルの木造平屋と隣接の倉庫を全焼。世界文化遺産の弥山原始林の一部にも延焼した。町消防本部と広島市消防局のヘリコプターが消火に当たり、約二時間後に消し止めた。
僧侶や参拝客など約四十人が付近にいたが、けが人はなかった。堂は約千二百年前から燃え続けるとされる「消えずの火」を守る施設で、火は焼失直前に僧侶がろうそくにともして持ち出し、ランプに移した。 廿日市署などの調べでは、僧侶らは「消えずの火」がある堂内部の炉で、昨年九月の台風18号で倒れた枝木を燃やしていたという。同署などは炉の火が引火したとみている。 「消えずの火」は空海が弥山で修行した八〇六年から燃え続けるとされる。広島市中区の平和記念公園で燃え続ける「平和の灯」の種火の一つともなった。霊火堂は過去もたびたび焼失し、現在の建物は、戦後まもなく再建された。 ■登山客ら消火リレー 消えずの火、僧侶持ち出す 大型連休さなかの五日、広島県宮島町の弥山で、千二百年燃え続けるとされる「消えずの火」を守る「不消霊火堂(きえずのれいかどう)」が焼失した。大規模な山火事には至らず、火も僧侶が無事に持ち出したが、一九九六年の世界文化遺産登録後、弥山で初めての火災。関係者は厳しい表情で対応に追われた。 「多くの人に迷惑をかけた。山林火災にならなくて良かった」。堂を管理する大聖院の吉田正裕座主(44)は沈痛な表情。当時、堂内では倒木の枝などを燃やし、外にいた登山客が、二層の建物の上部から炎が上がっているのを発見したという。 町内での火災は三年ぶり。八四年、九二年には大規模な山火事もあった。弥山原始林に燃え広がったら―。居合わせた登山客約三十人はポリ袋に水をくんで初期消火のリレー。延焼の拡大を抑える間に、消防士や繁忙期の仕事を中断して駆け付けた土産物店主らの消防団員たちが何とか消し止めた。 広島市の消防ヘリが消火剤をまくため、町は一時、弥山退去を呼び掛け、ロープウエーで登山した観光客の多くも引き返した。呉市の主婦(33)は「屋根が焼け落ちるのを見て恐ろしくなった。子どもも泣いて怖がった」と振り返る。 広島地方気象台は三日から県南部に乾燥注意報を出していた。焼け跡を見て下山した大阪府豊中市の会社員井口晴久さん(33)は「世界文化遺産でもあるし、火の管理はしっかりしてほしい」と注文していた。 【写真説明】弥山山頂(左上)近くで炎上する「不消霊火堂」。右手前は、同じ大聖院の弥山本堂など(5日午後2時) |
昨日の話 しょっきんぐでしゅぅ
5日午後1時20分ごろ、広島県宮島町の弥山(みせん)(530メートル)の山頂付近にある真言宗御室(おむろ)派大本山「大聖院(だいしょういん)」(吉田正裕住職)の「霊火堂」から出火、木造平屋建て約35平方メートルや周辺の林野約200平方メートルを焼いた。けが人はなかった。同県警廿日市署などが原因を調べている。
大聖院や同町などによると、同寺は、弘法大師が806年に開いたとされる。明治天皇の宮島訪問時の宿泊先になったほか、伊藤博文・元首相もたびたび訪れたという。全焼した霊火堂自体は同寺から約1.5キロ離れた山頂にある戦後の建物だが、堂内で保存していた「きえずの火」は、大師が付近で100日間の修行して以来、約1200年燃え続けているという。
大聖院の職員がこの日午前8時に、霊火堂を開門した時には、異常はなかったという。
現場は、世界遺産・厳島神社の南約2キロ。【下原知広、大沢瑞季】
[毎日新聞5月5日]